2013年12月28日
東神田川
① 源流地
その昔、水神谷と言われた森の中に、大きな池がありこれが源流地と言われたところで子供たちが釣りを楽しんだと言い伝えられています。戦後、砂防堤も作られましたが周辺地の開発が進むにつれ湧水量が減り枯れ池となりその後、水害防止対策の河川改修時に埋め立てられて現在のような「水神池」になっています。
上流域の改修に伴って作られた砂防堤と名板(昭和28年3月竣功)
7月の祇園祭に集まった子どもたち
また、この森の自然環境を保全しようと平成18年6月10日から「水神の森を守る会」が活動しています。東神田川については【最近の記事「三方原開拓と東神田川」(9/30)】にも記述しています。
② 水車や農業用水に使われた堰跡
この川の流域にも、10軒の水車小屋(わが町文化史「神久呂」より)がありましたが河川改修が行われこの様な堰の跡も少なくなっています。
③ 川土手の桜並木
上流から川土手に咲く満開の桜の木です。桜の木は少なくなってきましたがまだまだ楽しむことが出来ます。地域の人たちが周辺の草刈りをして護っています。川土手を散策してみてください。
ゴルフ場5番ホール付近の吊り橋付近
舘山寺街道西山団地バス停付近
神ヶ谷会館付近の桜堤
④ 里山再生 神久呂の紹介
東神田川中流域近く神ヶ谷町内の斜面林麓にある耕作放棄地を切り開いて里地里山の風景を再生して頑張っているグループ(代表道場幸雄氏)があります。代表の一言「四季を通して自然を体感できる場所にし、常時開放しています。一度花畑の中を散策してみてください」また、グループは、リバー・フレンドシップ(県浜松土木事務所)に加入、改修された川土手を散歩道にと草刈りに励んでいました。
⑤ 境川の流域
神ケ谷町の西側を流れる境川は、神久呂小学校の東側の谷間の湧き水を集めて流れる開析谷の川です。上流は西の谷川、下って境川となり東神田川と並行して流れ途中東神田川、新川に合流して浜名湖に注ぎ込んでいます。源流と言われるようなところはありませんが谷間に流れ込む湧水は水田耕作に利用されたと思われる耕作放棄がありました。
開析:ある原地形に数多の谷が切れ込んで河川が浸食する作用(広辞苑より)
境川下流から上流の神ケ谷の町並と田畑の眺望。右側の斜面林の麓を東神田川が流れています。
その昔、水神谷と言われた森の中に、大きな池がありこれが源流地と言われたところで子供たちが釣りを楽しんだと言い伝えられています。戦後、砂防堤も作られましたが周辺地の開発が進むにつれ湧水量が減り枯れ池となりその後、水害防止対策の河川改修時に埋め立てられて現在のような「水神池」になっています。
上流域の改修に伴って作られた砂防堤と名板(昭和28年3月竣功)
7月の祇園祭に集まった子どもたち
また、この森の自然環境を保全しようと平成18年6月10日から「水神の森を守る会」が活動しています。東神田川については【最近の記事「三方原開拓と東神田川」(9/30)】にも記述しています。
② 水車や農業用水に使われた堰跡
この川の流域にも、10軒の水車小屋(わが町文化史「神久呂」より)がありましたが河川改修が行われこの様な堰の跡も少なくなっています。
③ 川土手の桜並木
上流から川土手に咲く満開の桜の木です。桜の木は少なくなってきましたがまだまだ楽しむことが出来ます。地域の人たちが周辺の草刈りをして護っています。川土手を散策してみてください。
ゴルフ場5番ホール付近の吊り橋付近
舘山寺街道西山団地バス停付近
神ヶ谷会館付近の桜堤
④ 里山再生 神久呂の紹介
東神田川中流域近く神ヶ谷町内の斜面林麓にある耕作放棄地を切り開いて里地里山の風景を再生して頑張っているグループ(代表道場幸雄氏)があります。代表の一言「四季を通して自然を体感できる場所にし、常時開放しています。一度花畑の中を散策してみてください」また、グループは、リバー・フレンドシップ(県浜松土木事務所)に加入、改修された川土手を散歩道にと草刈りに励んでいました。
⑤ 境川の流域
神ケ谷町の西側を流れる境川は、神久呂小学校の東側の谷間の湧き水を集めて流れる開析谷の川です。上流は西の谷川、下って境川となり東神田川と並行して流れ途中東神田川、新川に合流して浜名湖に注ぎ込んでいます。源流と言われるようなところはありませんが谷間に流れ込む湧水は水田耕作に利用されたと思われる耕作放棄がありました。
開析:ある原地形に数多の谷が切れ込んで河川が浸食する作用(広辞苑より)
境川下流から上流の神ケ谷の町並と田畑の眺望。右側の斜面林の麓を東神田川が流れています。
Posted by 水神の杜人 at 15:45│Comments(4)
│三方原台地の湧水と自然信仰(1)東神田川
この記事へのコメント
はじめまして。
東神田川の源流の池について質問させて下さい。
江戸時代の絵図に不遣池の西に琵琶池という池があります。現在浜松基地内の南西にある池だと私は考えています。
現在、基地内の池の名前はありません。浜松市役所、浜松市博物館、浜松基地にも問い合わせましたが不明のままです。
何かご存じの情報はありませんでしょうか?
東神田川の源流の池について質問させて下さい。
江戸時代の絵図に不遣池の西に琵琶池という池があります。現在浜松基地内の南西にある池だと私は考えています。
現在、基地内の池の名前はありません。浜松市役所、浜松市博物館、浜松基地にも問い合わせましたが不明のままです。
何かご存じの情報はありませんでしょうか?
Posted by たくと at 2014年01月28日 19:18
古い江戸時代のこと水の流れも時の流れとともに変わると言われておりはっきりとは言えませんが今ある基地内の溜め池は、軍の施設が出来た時の調整池(弾薬庫の土手のかさ上げに掘った穴、下水処理の溜め池で同じものは初生の長池があります)とおもわれます。
だだ、江戸時代の中頃からあったと言われる笠井市場(伊佐地-神田(今の西山)-寸田ヶ谷-小豆餅-笠井市場)に通じた旧笠井街道があったと言われ不遣の池や子育て地蔵が街道筋にあり今でも言い伝えや地蔵さんがあります。
もしも、当時の地図に記載されるような琵琶池があったとすれば、水のなかった三方原台地に有っては貴重な存在であったと思われます。
水神の谷と言われる中には現在は湧き水が枯れて河川改修で出た土石で埋め立てられましたが近くのご老体の話では25メートル四方の池があり何回か釣りに行ったと話してくれました。フナ、鯉、ウナギがよく釣れたが周りが鬱蒼としいて怖かったそうです。
私も市の中央図書館で三方原台地について調べていますが分からないととばかりです。
琵琶池の地図があれば見せていただきたいです。お役にたてられずすみません。
だだ、江戸時代の中頃からあったと言われる笠井市場(伊佐地-神田(今の西山)-寸田ヶ谷-小豆餅-笠井市場)に通じた旧笠井街道があったと言われ不遣の池や子育て地蔵が街道筋にあり今でも言い伝えや地蔵さんがあります。
もしも、当時の地図に記載されるような琵琶池があったとすれば、水のなかった三方原台地に有っては貴重な存在であったと思われます。
水神の谷と言われる中には現在は湧き水が枯れて河川改修で出た土石で埋め立てられましたが近くのご老体の話では25メートル四方の池があり何回か釣りに行ったと話してくれました。フナ、鯉、ウナギがよく釣れたが周りが鬱蒼としいて怖かったそうです。
私も市の中央図書館で三方原台地について調べていますが分からないととばかりです。
琵琶池の地図があれば見せていただきたいです。お役にたてられずすみません。
Posted by 水神の杜り人 at 2014年02月03日 13:49
ご丁寧にありがとうございます。
長池の近くに住んでいますが造られた経緯は初めて知りました。
私は趣味で三方ヶ原合戦について調べています。ある本で絵図にある琵琶池の存在を知り情報を探しています。その絵図は1680年頃描かれた青山領分絵図より古い時代の絵図と思われます。
ご迷惑で無ければお会いさせて頂けませんか?
長池の近くに住んでいますが造られた経緯は初めて知りました。
私は趣味で三方ヶ原合戦について調べています。ある本で絵図にある琵琶池の存在を知り情報を探しています。その絵図は1680年頃描かれた青山領分絵図より古い時代の絵図と思われます。
ご迷惑で無ければお会いさせて頂けませんか?
Posted by たくと at 2014年02月04日 12:11
是非、お会いしましょう。
右のサイドに「オーナーへメール」ボタンを付けました。ここから、連絡先をお知らせしていただければ、こちらから連絡いたします。よろしくお願いします。
右のサイドに「オーナーへメール」ボタンを付けました。ここから、連絡先をお知らせしていただければ、こちらから連絡いたします。よろしくお願いします。
Posted by 水神の杜人 at 2014年02月08日 17:44